扉を開けると広がる
そこは私の
大切な場所―――――
precious...
放課後、すべての授業が終わると、私はいつもここへ来る。
青空が見える、この屋上に。
忙しない喧騒から離れることができるこの場所が、私は好きだった。
一人で静かに過ごせるこの場所が、とても好きだった。
ある日、扉を開けると、視界に映る景色がいつもと違った。
目の前の、私の特等席に座るその男子生徒を私は凝視する。
――…だれ?
夕日の光に目を細めていると、その男子生徒がゆっくりとこちらを向いた。
「あ…」
小さく呟かれた彼の声。
私は無言のまま彼を見つめた。
彼は同じクラスの……
「あれ、叶江さん?」
名前を呼ばれて驚いた。
一度も話したことがないから、名前を知っているなんて思わなかった。
「倉見…くん、どうしてこんなところに…?」
声を掛けながら彼の隣に並ぶ。
フェンス越しに見える夕日が、ひどく眩しい。
目を細めて夕日に照らされる町並みを眺めていると、彼の驚いたような声が聞こえた。
「オレの名前、知ってたんだ」
ゆっくりと視線を移すと、そこには笑顔を浮かべた彼。
……当然だ。知らないはずが無い。だって、彼はこの学校で有名な人だから。
女子にとても人気があって、いつもいつもデートだなんだって、授業をサボっている。
たまに授業に出てきたかと思えば、いつも机に伏している。
そんな、男。
「…当然でしょ。同じクラスなんだから」
彼の隣に腰を下ろす。
隣といっても、ある程度の距離を置いて。間にもう一人、人が座れるくらいの間を。
「いや、優等生の叶江さんが、オレなんかのこと知ってるんだなーって」
「何よソレ」
「叶江さん、オレみたいなヤツ嫌いでしょ?」
図星。
だから、一度も話したことなんてない。
自分とは関係ないと、無視していた。
けれど、なぜか今、こうして二人で話している。
「そんなこと、ないわ」
そう答えると、隣から微かな笑い声が聞こえた。
訝しげな視線を向けると、そこには口に手を当てて笑っている彼の姿。
「何?」
「いや、…ははは」
「……気持ち悪いんだけど」
「ごめんごめん。けど、叶江さん、言ってることと表情が合ってないから」
表情……?
そういえば、そんなものまで気が回っていなかった。
だって、嫌いなものは嫌いだから。
授業をサボるっていうのも、その理由がデートだっていうくだらない理由なのも、そのデート相手が毎回毎回違うってことも。
ま、私には関係のないことだけれど。
「……そうね。嫌い」
「あはは、やっぱり」
「…何で笑ってるの?」
「いや、だって叶江さん、正直だなって」
「は!? だって、あんたが…」
「あはは、ごめんごめん」
「……何よ、ソレ」
おもしろくない。何で私がこいつのペースに巻き込まれてるの?
何だろう、調子が狂う。
「叶江さんって、実はいつも猫かぶってるでしょ」
「……んなっ!?」
思わず大きな声を出してしまった。
瞬間的に顔が赤くなる。
目の前には笑顔の彼。
「猫、って……何のこと?」
ぷい、と顔を逸らし、とりあえず誤魔化してみる。
自分でも、あの反応をしておいてそれは無いだろうと思うのだけれど…。
案の定、隣からはくすくすと笑い声が聞こえてきた。
「うわぁ…往生際が悪いなぁ」
そう言いながら、茜に染まる空を仰ぐ彼。
その表情に、一瞬、目を奪われた。
夕日に照らされたその表情は、正直、とても綺麗だった。
「知ってるよ」
彼は、空を見上げたまま。
「叶江さんが、いつも無理して優等生を演じてるの」
彼が、ゆっくりとこちらに顔を向ける。
その表情は、どこか切ない。
「ずっと見てたから。叶江さんのこと」
「何、言って……」
「オレ、叶江さんのこと、好きだから」
反則だ。
こんなシチュエーションで、そんなこと言うなんて。
嫌いなのに。
こんな男、嫌いなはずなのに。
私には、関係ないはずなのに。
どうしてだろう、心臓の音が、うるさい。
「…何、言ってるの? からかわないで」
「やっぱり、予想通りの返事だね」
立ち上がり、私に背を向ける彼。
その動きを、視線で追う。
「仕方ないか。信じてもらえなくて当然だし」
自嘲気味に笑う彼の声。
表情は、窺えない。
「でも、言っておきたかったんだよね」
フェンスに掴まり、こちらに振り向く彼。
「ごめんね、困らせて。オレ…」
「…友達」
「え…?」
「あ、ありがちっていうか、古いかもしれないけど…私、まずは友達として、倉見と話してみたい…」
「……」
「だ、だって私、倉見と話したことないし。全然、そんな風に見たことなかったから」
私らしくない。
ペースが乱される。
こいつの前では、自分をつくれない。
…それがものすごく、楽だ。
「でも、嬉しかったの。ホントの私に気づいてくれてて」
顔が、熱い。
「だから、また明日…ここで」
そう言ったあとに見上げた彼の表情は、幼い子どものそれのようで…
「うん、また明日。この場所で」
明日からこの場所が
私にとって
今まで以上に大切な―――――