「柚那…春が来たよ」

               「この場所も、桜が咲いたんだ。お前が好きだったこの丘の桜が…」

               「柚那…見てるか…?」

               「柚那…」






              桜の約束






               柚那が死んで初めての春。

               オレ――如月和真は、毎日の忙しさの中で少しずつ、
               柚那のことを考えないようになっていた。

               でも、春が来た。
               柚那が一番好きだった春。
               春の陽だまりの様だった柚那。
               桜が大好きで、二人であの場所を見つけたときは、子供の様にはしゃいでた。
               薄い色や濃い色、枝垂桜や八重桜。
               いろいろな桜が咲いていて、満開になれば視界が桃色に染まる。

               花びらが風に舞う姿はまた美しく、
               そこが、現実ではないどこか別の世界に思えた。
               そこはまるで桃源郷。
               誰も知らない花見スポット。
               オレと柚那だけの秘密の場所…
               お前は、いつもいつもあそこへ行きたがって、
               オレの腕を引いていたんだ――――





                 *  *  *





               『かずま、かずま!!』


               学校の中庭で横になっているオレを呼ぶ声。
               『ねぇねぇ、今日も行こうよ〜。ねぇ、かずま〜聞いてる?』
               オレの顔を覗き込む柚那の髪が頬に触れ、甘い香りが鼻をくすぐる。
               色素が薄い、栗色の腰までもある長い髪。
               『かずま〜! 起きてるのは分かってるんだからね!?』
               なかなか目を開けないオレに痺れを切らしたのか、少しだけ語調が強くなる。
               でも、声は優しいまま。
               大きな瞳を持つ、その幼さの残る顔を膨らませている様子が目に浮かぶ。
               ゆっくりと目を開けると、やはりそこには、予想通りの表情をした君がいた。
               太陽を背にする君に目を細める。

               『ほら、やっぱり起きてたんじゃない』
               『違う。柚那の大声で起きた』
               『むぅ…そんなに大きい声出してないもん!!』
               『ほら、その声がでかい…』
               そう言って身体の向きを変え、再び眠りにつこうとするオレの横にしゃがみ込む。
               『違うよかずま。寝るんじゃなくて、二人で桜を見に行くの』
               耳元で、急に優しく静かにささやく君。
               オレは腕を伸ばし、君を捕らえる。
               『かず…!!』
               『嫌だ。ここで、こうしてる』
               少しだけ、声のトーンを落としてささやくと、
               君は自分の腕を静かに絡め、オレの肩に顔を埋める。
               柚那の体温が伝わり、温かい…。
               オレが腕に力を込めようとした時、オレの耳元で声が聞こえた。

               『桜見に行ってくれないなら、別れてやる』

               『…は…?』

               『一緒に行ってくれないなら別れるって言ったのー! …離してよぉ』
               余りにも子供っぽい発言に呆気に取られる。
               その隙を突いてオレから離れた君は、制服の汚れを払いながら続ける。
               『昼寝と私…どっちが大事なの…?』
               ものすごい二者選択だ…。
               しかし、微かに潤んだ瞳に愛しさが増す。


               『……柚那……』


               そう答えたオレに、君は満足そうに微笑んで、
               『行こ』
               と言ってオレの手を取った。







                 *  *  *







               丘では桜が雨の様に降っていて、オレ達の視界を塞ぐ。
               柚那は、降ってくる桜に両手を広げている。
               オレが呼んでも気付かない。
               君はただ、桜を見つめ続ける。

               いつもそうだ…。
               無理やりにでもオレをここに連れて来るくせに、
               ここに着いた途端オレの事は無視…と言うより、忘れているようだ。
               オレの存在に気付いてくれるのは、君が桜を見ることに満足したとき。
               ふと思い出したかのようにこっちを見て、微笑む。
               その微笑みがどこか儚く、今にも消えてしまいそうで…そっと手を伸ばす。
               君もオレの背中に腕を回してくれる。

               『かずま、どうしたの?』
               『…消えるかと…思った…』
               『え?』
               『柚那が、消えると思った…』
               オレの言葉に君は苦笑し、その細い腕にきゅっと力を込める。
               『柚那…』
               『…ん?』
               『ずっと傍にいてくれよ…』
               今度はオレが腕の力を強くした。
               君が、どこにも行ってしまわないようにと…。


               『…うん…。来年もまた、一緒にここで桜見ようね…』


               その時君が、とても切ない微笑みを浮かべていたことを、オレは知らなかった。
               未だ降り続ける桜だけが、オレ達のこの約束を静かに聞いていた―――――。







                 *  *  *







               そして今日、オレはここへ来ている。
               君が好きだったこの丘に。
               君との約束を、果たすために。


               「柚那、きれいだな」

               「満開だよ…。柚那」

               「柚那…」


               どれだけ呼びかけても、返事は返ってこない。
               君がオレを忘れて桜を見ている姿も、ここには無い。


               「約束したじゃないか…『来年もまた、一緒にここで桜見よう』って…」


               桃色の視界が霞む。


               「柚那…春が来たよ」

               「約束だった春が…」

               「柚那…見てるか…?」


               オレは一人、空を見上げる。
               その時、風が吹いて花びらが舞った。


               『かずま、きれいだね。』
               「柚那、来年も一緒に見ような…」
               『ありがとう…かずま…』




               一枚の花びらが、オレの肩にふわりと舞い降りた。






               来年もまた、ここで君と――――――