さくら


 珍しく閨志は、瑞穂の家の中ではなく玄関の前で彼女を待っていた。
 寒さ対策にと連れてきた、自宅で飼っている黒猫の藤吉を胸に抱きながら。
 表札の上がる石塀に背を預け目を閉じていると、ふいに腕の中の藤吉が身じろぎし、にゃあ、と鳴いた。藤吉の首に付けた鈴が鳴る。
 「あれ、藤吉? 閨志も」
 藤吉が閨志の腕の中から必死に手を伸ばすのは、先程から彼らが待っていた人物、津田瑞穂。
 瑞穂は閨志に駆け寄ると、その腕の中の藤吉の頭を軽く撫でてやった。すると藤吉は目を細め、にゃあ、と気持ちよさそうに一鳴き。
 「閨志ってば、いつから待ってたの? 中入ってれば良かったのに」
 「……いつもは中にいたら怒るくせに」
 「何か言った?」
 「べつに……。寒くないように、連れてきたから大丈夫」
 そう言って視線を腕の中に移せば、なるほどね、と瑞穂の笑い声が返ってきた。
 「ま、とにかく中入って。閨志が外で待ってるってことは、私に何か頼みごとがあるんでしょ?」
 肩を竦めて見せる瑞穂に、閨志は無言のまま小さく頷いて見せた。


 まだ肌寒いとはいえ、もう三月。以前居間にあった炬燵は既に片付けられ、そこにはテーブルと座布団が敷かれていた。
 そんな居間を横目に見つつ、閨志は瑞穂の後に続き彼女の自室へと向かう。瑞穂の部屋は二階。階段を上ってすぐ右手にある。
 「はい、どうぞ」
 瑞穂がドアを開けると、我先にと藤吉が閨志の腕の中から飛び出し、あっという間に瑞穂のベッドの上に飛び乗った。
 「藤吉ってば、そこ好きよね」
 「きっと、あったかいから」
 藤吉の姿を微笑ましく見つめながら、二人はそれぞれベッドの前に置いてある座布団の上に座った。
 ベッドに凭れかかれば藤吉がじゃれついてくる。瑞穂は暫く藤吉と遊んでいた。しかし突然、藤吉の動きがぴたりと止まった。 不思議に思った瑞穂だったが、藤吉が閨志を見つめていることに気づいてその姿勢を正した。
 「実はさっき……」
 静かにじっとしていた閨志が徐に口を開いた。普段、彼から話を切り出すことは珍しい。用があるときでも彼は瑞穂が促さなければ滅多に自分から話し出さない。 だからきっと、それ程大切な話なのだろう。彼が纏う空気は、いつになく真剣なものだった。
 「丘の上で女のヒトに会った」
 「女の人?」
 纏う空気とは違い、話し方はいつもと同じ。短い文章や単語を綴る彼独特の話し方。
 「桜を見る約束をしたって。けど、見れないって」
 「え?」
 「だからおれ、見せてあげたいって思って……」
 「ちょ、ちょっと待って!」
 簡潔な言葉で告げられた内容は、つい先程、学園の中庭で瑞穂があの先輩から聞いた話と同じものだった。あの先輩から聞いた話も、要約するとつまりはそういうこと。
 まさか、タイミングが良すぎる。けれど同じ時期に同じようなことを言っている人がいるなんて、両者が全く関係ないとは思いにくい。
 「閨志、その女の人ってウチの学園の人?」
 問えば一瞬考える素振りを見せ、やがて頷きを返してきた。確か、瑞穂と同じ制服を着ていた気がする。
 「その人、誰かと桜を見る約束をしてたのよね?」
 「うん」
 「もしかして、その待ち合わせ場所って学園の中庭だったりしない?」
 詰め寄る瑞穂に閨志はちらりと視線を向け、一言。
 「聞いてない」
 「何で!?」
 「言わなかったし」
 「……見せてあげたいと思ったなら、そういうとことか詳しく聞いておきなさいよ」
 はぁ、と息を吐いてベッドに凭れかかる瑞穂。すかさず藤吉が擦り寄ってくる。
 瑞穂が藤吉の首を撫でながら、黙り込んでしまった閨志の方を向くと、彼はその漆黒の瞳を閉じ、何か考えるように下を向いていた。 普段のどこかぼんやりとした彼のイメージからは想像できないほどの真剣な表情に、瑞穂は小さく息を呑んだ。
 これはもしかして……
 「閨志、もしかしてアンタ……」
 「瑞穂、何か知ってるの?」
 言葉を遮られた瑞穂は、突然の問い掛けに一瞬戸惑う。
 「待ち合わせ場所が学園の中庭って言ったから」
 「あー」
 先程の自分の言葉を思い出す。そう、自分が出会った彼は、あの中庭で待ち合わせていたと言っていた。
 そのことを、先程会った彼のことを閨志に話せば、彼は眉間に皺を寄せて黙り込んだ。
 そして、未だに瑞穂に擦り寄っていた藤吉を自分の許に引き寄せると、そのまま自分の足の上に座らせた。
 その小さな体をぎゅっと抱きしめる。
 「多分、その人が約束の相手」
 「うん」
 「でも、桜にはまだ早い」
 「うん。でも、二人を会わせてあげることはできるのよ……ね?」
 瑞穂の窺うような視線に、閨志はこくりと頷いた。
 「瑞穂に手伝って欲しい」
 「当然でしょ」
 つん、と瑞穂が閨志の頬をつつく。すると藤吉がその指へとじゃれついてきた。
 瑞穂は視線を移し、
 「藤吉も手伝ってくれるよねー」
 そう言いながら彼の喉を撫でれば、彼は瑞穂に擦り寄りながら小さく、にゃあ、と鳴いた。